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絵本「狐」新美南吉著 ギャラリーまぁる刊

スマホやPCで読める様にしました。

 

*絵本を、お買い求めになりたい方はギャラリーにお尋ねください。

 

 

月夜に七人の子供が歩いておりました。
 大きい子供も小さい子供もまじっておりました。
 月は、上から照らしておりました。子供たちの影は短かく地(じ)べたにうつりました。
 子供たちはじぶんじぶんの影を見て、ずいぶん大頭で、足が短いなあと思いました。
 そこで、おかしくなって、笑い出す子もありました。あまりかっこうがよくないので二、三歩はしって見る子もありました。

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こんな月夜には、子供たちは何か夢みたいなことを考えがちでありました。

子供たちは小さい村から、半里ばかりはなれた本郷(ほんごう)へ、夜のお祭を見にゆくところでした。
 切通しをのぼると、かそかな春の夜風にのって、ひゅうひゃらりゃりゃと笛の音(ね)が聞えて来ました。
 子供たちの足はしぜんにはやくなりました。すると一人の子供がおくれてしまいました。

「文六(ぶんろく)ちゃん、早く来い」
とほかの子供が呼びました。
 文六ちゃんは月の光でも、やせっぽちで、色の白い、眼玉の大きいことのわかる子供です。できるだけいそいでみんなに追いつこうとしました。
「んでも俺(おれ)、おっ母かちゃんの下駄(げた)だもん」
と、とうとう鼻をならしました。なるほど細長いあしのさきには大きな、大人(おとな)の下駄がはかれていました。

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本郷にはいるとまもなく、道ばたに下駄屋さんがあります。
 子供たちはその店にはいってゆきました。文六ちゃんの下駄を買うのです。文六ちゃんのお母さんに頼まれたのです。
「あののイ、小母(おば)さん」
と、義則よしのり君が口をとがらして下駄屋の小母さんにいいました。
「こいつのイ、樽屋(たるや)の清(せい)さの子供だけどのイ、下駄を一足やっとくれや。あとから、おっ母さんが銭ぜにもってくるげなで」
 みんなは、樽屋の清さの子供がよく見えるように、まえへ押しだしました。それは文六ちゃんでした。文六ちゃんは二つばかり眼まばたきしてつっ立っていました。
 小母さんは笑い出して、下駄を棚たなからおろしてくれました。
 どの下駄が足によくあうかは、足にあてて見なければわかりません。義則君が、お父さんか何ぞのように、文六ちゃんの足に下駄をあてがってくれました。何しろ文六ちゃんは、一人きりの子供で、甘えん坊でした。ちょうど文六ちゃんが、新しい下駄をはいたときに、腰のまがったお婆(ばあ)さんが下駄屋さんにはいって来ました。そしてお婆さんはふとこんなことをいうのでした。

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「やれやれ、どこの子だか知らんが、晩げに新しい下駄をおろすと狐(きつね)がつくというだに」
 子供たちはびっくりしてお婆さんの顔を見ました。
「嘘(うそ)だい、そんなこと」
とやがて義則君がいいました。
「迷信だ」
とほかの一人がいいました。
 それでも子供たちの顔には何か心配な色がただよっていました。
「ようし、そいじゃ、小母さんがまじないしてやろう」
と、下駄屋の小母さんが口軽くいいました。
 小母さんは、マッチを一本するまねして、文六ちゃんの新しい下駄のうらに、ちょっと触さわりました。
「さあ、これでよし。これでもう、狐も狸(たぬき)もつきゃしん」
 そこで子供たちは下駄屋さんを出ました。

 子供たちは綿菓子(わたがし)を食べながら、稚児(ちご)さんが二つの扇を、眼にもとまらぬ速さでまわしながら、舞台の上で舞うのを見ていました。

 その稚児さんは、お白粉(しろい)をぬりこくって顔をいろどっているけれど、よく見ると、お多福湯(たふくゆ)のトネ子でありましたので、

「あれ、トネ子だよ、ふふ」

 とささやきあったりしました。

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 稚児さんを見ているのに飽くと、くらいところにいって、鼠花火(ねずみはなび)をはじかせたり、かんしゃく玉を石垣(いしがき)にぶつけたりしました。

 舞台を照らすあかるい電燈には、虫がいっぱい来て、そのまわりをめぐっていました。

見ると、舞台の正面のひさしのすぐ下に、大きな、あか土色の蛾(が)がぴったりはりついていました。

 山車(だし)の鼻先のせまいところで、人形の三番叟(さんばそう)が踊りはじめる頃は、すこし、お宮の境内(けいだい)の人も少(すく)なくなったようでした。花火や、ゴム風船の音もへったようでした。子どもたちは山車の鼻の下にならんで、仰向(あおむ)いて、人形の顔を見ていました。

 人形は大人(おとな)とも子供ともつかぬ顔をしています。その黒い眼は生きているとしか思えません。ときどき、またたきするのは、人形を踊らす人がうしろで糸をひくのです。子供たちはそんなことはよく知っています。しかし、人形がまたたきすると、子供たちは、なんだか、ものがなしいような、ぶきみなような気がします。

するととつぜん、パクッと人形が口をあきペロッと舌を出し出し、あっというまに、もとのように口をとじてしまいました。まっかな口の中でした。

 これも、うしろで糸をひく人がやったことです。子供たちはよく知っているのです。ひるまなら、子供たちは面白がって、ゲラゲラ笑うのです。

 けれど子供たちは、いまは笑いませんでした。提灯(ちょうちん)の光の中で、ーー影の多い光の中で、まるで生きている人間のように、まばたきしたり、ペロッと舌を出したりする人形・・・・なんと言うぶきみなものでしょう。

ーー子供たちは思い出しました、文六ちゃんの新しい下駄のことを。晩げに新しい下駄をおろすものは狐につかれるといったあの婆さんのことを。

 子供たちは、じぶんたちが、ながく遊びすぎたことにも気がつきました。​じぶんたちにはこれから帰ってゆかねばならない、半里の、野中の道があったことにも気がつきました。

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 かえりも月夜でありました。

 しかし、かえりの月夜は、なんとなくつまらないものです。子供たちは、だまってーーちょうど一人一人が、じぶんのこころの中をのぞいてでもいるように、だまって歩いていました。

 切通し坂の上に来たとき、一人の子が、もう一人の子の耳に口を寄せて何かささやきました。するとささやかれた子は別の子のそばにいって何かささやきました。その子はまた別の子にささやきました。ーーこうして、文六ちゃんのほか、子供たちは何か一つのことを、耳から耳へいいつたえました。

 それはこういうことだったのです。「下駄屋さんの小母(おば)さんは文六ちゃんの下駄に、ほんとうにマッチをすっておまじないをしやしんだった。まねごとをしただけまねごとをしただけだった。」

 それから子供たちはままたひっそりして歩いて歩いてゆきました。

 ーー狐につかれるというのはどんなことかしらん。文六ちゃんの中に狐が入ることだろうか。文六ちゃんの姿や形はそのままでいて、心は狐になってしまうことだろうか。そうすると、いまはもう、文六ちゃんは狐につかれているかもしれないわけだ。文六ちゃんは黙っているからわからないが、心の中はもう狐になってしまっているかもしれないわけだ。

 おなじ月夜で、おなじ野中の道では、誰でもおなじようなことを考えるものです。そこでみんなの足はしぜんとはやくなりました。

 ぐるりと低い桃の木でとりかこまれた池のそばへ、道が来たときでした。子供たちの中で誰かが、

「コン」

 と小さな咳(せき)をしました。

 ひっそり歩いているときなので、みんなは、その小さな音でさえ、聞きおとすわけにはゆきませんでした。

 そこで子供たちは、今の咳は​誰がしたか、こっそり調べました。するとーー文六ちゃんがしたということがわかりました。

​文六ちゃんがコンと咳をした!

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 それなら、この咳にはとくべつの意味があるのではないかと子供たちは考えました。よく考えてみるとそれは咳ではなかった様でした。狐の鳴声のようでした。

「コン」

 とまた文六ちゃんがいいました。

 文六ちゃんは狐になってしまったと子供たちは思いました。わたしたちの中には狐が一匹はいっていると、みんなは恐ろしく思いました。

樽屋(たるや)の文六ちゃんの家は、みんなの家とは少しはなれたはなれたところにありました。ひろい、蜜柑畑(みかんばたけ)になっている屋敷にかこわれて、一軒きり、谷地(やち)にぽつんとたっていました。子供たちはいつも、水車のところから少し廻(まわ)りみちして、文六ちゃんを、その家の門口(かどぐち)までおくってやることにしていました。なぜなら、文六ちゃんは樽屋の静六さんさんの一人きりの大事な坊(ぼっ)ちゃんで、甘えん坊だからです。文六ちゃんのお母さんが、よく、蜜柑やお菓子をみんなにくれて、文六ちゃんとあそんでやってくれとたのみに来るからです。今晩も、お祭りにゆくときは、その門口まで、文六ちゃんを迎えに行ってやったのでした。

 さてみんなは、とうとう、水車のところに来ました。水車の横から細い道がわかれて草の中を下へおりてゆきます。それが文六ちゃんの家にゆく道です。

 ところが、今夜は誰も、文六ちゃんのことを忘れてしまったかのように、送ってゆこうとするものがありません。忘れたどころではありません。文六ちゃんがこわいのです。

​ 甘えん坊の文六ちゃんは、それでも、いつも親切な義則君だけは、こちらへ来てくれるだろうと思って、うしろをむきむき、水車のかげになってゆきました。

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 とうとう、だれも文六ちゃんといっしょにゆきませんでした。

 さて文六ちゃんは、ひとりで、月にあかるい谷地へおりてゆく細道をくだりはじめました。どこかで、蛙(かえる)がくくみ声で鳴いていました。

 文六ちゃんは、ここから、じぶんの家までは、もうじきだから、誰も送ってくれなくても、困るわけではないのです、今夜にかぎっておくってくれないのです。

 文六ちゃんはぼけんとしているようでも、もうちゃんと知っているのです。みんなが、じぶんの下駄のことで何といいかわしたか、また、じぶんが咳をしたためにどういうことになったかを。

 祭にゆくまでは、あんなに、じぶんに親切にしてくれたみんなが、じぶんが、夜新しい下駄をはいて狐にとりつかれたかもしれないために、もう誰一人かえりみてくれないかえりみてくれない、それが文六ちゃんにはにはなさけないのでした。

 義則君なんか文六ちゃんより四年級も上だけど親切な子で、いつもなら、文六ちゃんが寒そうにしていると、洋服の上に着ている羽織(はおり)をぬいでかしてくれたものでした (田舎(いなか)の少年は寒い時、洋服の上に羽織を着ています)。それだのに、今夜は、文六ちゃんがいくら咳をしても羽織を貸してやろうといいませんでした。

 文六ちゃんは屋敷の外囲いになっている槙(まき)の生垣(いけがき)のところに来ました。背戸口(せどぐち)の方の小さな木戸をあけて中にはいりながら、文六ちゃんは、じぶんの小さな影法師(かげぼうし)を見てふと、ある心配を感じました。

 ーーひょっとすると、じぶんはほんとうに狐につかれているかもしれない、ということでした。そうすると、お父さんやお母さんはじぶんをどうするだろうということでした。

 お父さんが樽屋さんの組合へいって、今晩はまだかえらないので、文六ちゃんとお母さんはさきに寝(やす)むことになりました。

 文六ちゃんは初等科三年生なのにまだお母さんといっしょに寝るのです。ひとり子ですからしかたないのです。

 「さあ、お祭の話を、母ちゃんにきかしておくれ」

 とお母さんは、文六ちゃんのねまきのえりを合わせてやりながらいいました。

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文六ちゃんは、学校から帰れば学校のことを、町にゆけば町のことを、映画を見てくれば映画のことをお母さんにきかれるのです。文六ちゃんは話が下手(へた)ですから、ちぎれちぎれに話をします。それでもお母さんは、とても面白がって、よろこんで文六ちゃんの話をきいてくれるのでした。

「神子(みこ)さんはね、あれよく見たら、お多福湯のトネ子だったよ」

 と文六ちゃんは話しました。

 お母さんは、そうかい、といって、面白そうに笑って、

「それから、もう誰が出たかわからなかったかい」

 とききました。

文六ちゃんはおもいだそうとするように、眼を大きく大きく見ひらいて、じっとしていましたが、やがて、祭の話はやめて、こんなことをいいだしました。

「母ちゃん、夜、新しい下駄おろすと、狐につかれる?」

 お母さんは、文六ちゃんが何をいい出したかと思って、しばらく、あっけにとられて文六ちゃんの顔を見ていましたが、今晩、文六ちゃんの身の上に、おおよそどんなことが起こったか、けんとうがつきました。

「誰がそんなことをいった?」

文六ちゃんはむきになって、じぶんのさきの問いをくりかえしました。

「ほんと?」

「嘘(うそ)だよ。そんなこと。昔の人がそんなことをいっただけだよ」

「嘘だね?」

「嘘だとも」

「きっとだね」

「きっと」

 しばらく文六ちゃんは黙っていました。黙っている間に、大きな眼玉が二度ぐるりぐるりとまわりました。それからいいました。

「もしほんとだったらどうする?」

「どうするって、何を?」

 とお母さんがききかえしました。

「もし、僕が、ほんとに狐になったらどうする?」

 お母さんはしんからおかしいように笑いだしました。

「ね、ね、ね」

 と文六ちゃんは、ちょっとてれくさいような顔をして、お母さんの胸を両手でぐんぐん押しました。

「そうさね」と、お母さんはちょっと考えてからいいました。「そしたら、もう、家におくわけにゃいかないね」

 文六ちゃんは、それをきくと、さびしい顔つきをしました。

「そしたら、どこへゆく?」

「鴉根山(からすねやま)の方にゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」

「母ちゃん父ちゃんはどうする?」

 するとお母さんは、大人(おとな)が子供をからかうときからかうときにするように、たいへんまじめな顔で、しかつべらしく、

「父ちゃんと母ちゃんは相談をしてね、かあいい文六が、狐になってしまったから、わたしたちもこの世に何のたのしみもなくなってしまったで、人間をやめて、狐になることにきめますよ」

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「父ちゃんも母ちゃんも狐になる?」

「そう、二人で、明日(あした)の晩げに下駄屋さんから新しい下駄を買って来て、いっしょに狐になるね。そうして、文六ちゃんの狐をつれて鴉根の方へゆきましょう」

 文六ちゃんは大きい眼をかがやかせて、

「鴉根って西の方?」

「成岩(ならわ)から西南の方の山だよ」

「深い山?」

「松の木が生(は)えているところだよ」

「猟師はいない?」

「猟師って鉄砲打ちのことかい?山の中だからいるかも知れんね」

「猟師が撃ちに来たら、母ちゃんどうしよう?」

「深い洞穴(ほらあな)の中にはいって三人で小さくなっていれば見つからないよ」

「でも、雪が降ると餌(えさ)がなくなるでしょう。餌を拾いに出たとき猟師の犬にみつかったらどうしよう」

「そしたら、いっしょうけんめい走って逃げましょう」

「でも、父ちゃん母ちゃんは速いでいいけど、僕は子供の狐だもん、おくれてしまうもん」

「父ちゃん母ちゃんが両方から手をひっぱってあげるよ」

「そんなことをしているうちに、犬がすぐうしろに来たら?」

 お母さんはちょっと黙っていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声でした。

「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」

「どうして?」

「犬は母ちゃんに噛(か)みつくでしょう、そのうちに猟師が来て、母ちゃんをしばってゆくでしょう。その間に、坊やと父ちゃんは逃げてしまうのだよ」

文六ちゃんはびっくりしてお母さんの顔をまじまじと見ました。

「いやだよ、母ちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」

「でも、そうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」

「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがなくなるじゃないか」

「でもそうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆっくり・・・・」

「いやだったら、いやだったら!

 文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れて来ました。

 お母さんもねまきのそででこっそり眼のふちをふきました、そして文六ちゃんがはねとばした、小さな枕(まくら)を拾って、あたまの下にあてがってやりました。

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